ドイツは、移民や難民を積極的に受け入れている移民国家です。

その中でも1960年代に単純労働者として大勢ドイツに移動してきたトルコ系移民とドイツ社会との間には長い歴史があります。

ドイツの労働者であるトルコ人は、ガストアルバイターと呼ばれ、お客である労働者という立場で受けれられ、ドイツ社会ではトルコ人を積極的に移民として受け入れる体制はありませんでした。

ドイツの移民政策は、ガストアルバイターを受け入れ始めた時代から比べると、現在は受け入れ制度も改定され、ドイツ政府の移民に対する支援や人道的な対応の変動もあり、当時のトルコ移民と現代のトルコ移民では置かれている状況や社会保障制度なども異なります。

当時移民として入国してきたガストアルバイターの1世代目の子供から孫までは、ドイツで生まれたトルコ人の2世代目、3世代目の若者たちです。

ドイツで生まれドイツで育ったトルコ系移民の若者たちは、自国トルコに対しての想いとイスラム教の理念を持ち続け、アイデンティティを維持しながらドイツ社会に共存して生活しています。

ドイツのトルコ移民の流れと定住化

ドイツは1960年、今の日本のように労働者不足の解消策として、移民の受け入れを始めています。

1961年にはドイツとトルコは二国間協定を結び、この時トルコ以外に、イタリア、スペイン、ポルトガル、ユーゴスラビアなど7カ国と締結していますが、際立って盛んに受け入れを行っていたのはトルコ人です。

当初、トルコ人がドイツに労働者として移動を始めた頃は、日本の技能実習制度のように在留期間3年を期限とした仕組みの受け入れ政策でした。

この政策を「ローテーション方式」と言い、家族帯同も認められない制度でしたが、在留期間を延長して長期雇用したい企業に対応するために、1969年に制定された雇用促進法では、在留期限3年を延長した労働許可が付与され、さらに家族帯同も認められるように制度が改定されています。

1970年代に入ると、労働者として入国して来たトルコ人は、仕事が確保できるようになると、家族を呼び寄せ、結婚や出産をするケースがだんだん増えてきて、次第に定住化するトルコ移民の流れが出来てきました。

1973年、オイルショックにより協定を結んだ国との締結が停止となり、移民の受け入れもいったん終了していますが、短期労働者の受け入れは継続して行われ、トルコ移民も家族を呼び寄せるなど、ドイツに定住化する動きは増加の一途をたどっていました。

トルコ移民とドイツ国民と溝

ドイツでは、1980年代から16年間、東西ドイツ統合を指揮した首相ヘルムートコートの政権が続いています。

当時のドイツ政府は、ドイツは移民国家ではないという方針を長期にわたり打ち出し、事実上、移民としてドイツへ渡り、さらに家族を呼び寄せて暮らしを始めているトルコ人たちにとっては、厳しい労働環境の中でドイツ国民として生きていける社会基盤がないまま、移民生活が長く続きました。

ドイツがトルコ移民に与えた居住地区ではトルコ人が集住し、同じ国籍の者が密集することで、ドイツ政府が推進する社会統合に反するような状況が生まれ始めました。

移民を受け入れた国で特に問題となる教育支援に関しては、トルコ人のドイツ語の習得率が低く、その後ドイツ国内での就職が難しくなる傾向があり、ドイツ社会に適応できないリスクが生まれています。

当時、トルコ移民に対して、ドイツ政府は十分な統合政策を行っていなかったということは、ドイツとトルコ移民の間に溝を作る要因となったと言われています。

移民法改正となっても…

1990年になって外国人法の改定で、帰化による国籍取得が可能となり、1998年ゲアハルト・シュレーダーの政権が成立し、2000年に入ると、ドイツは今までとっていた血統主義から一出世地主義を導入した国籍法に代わり、ドイツで生まれた外国人労働者の子どもには、18歳からドイツ国籍を選択できる権利が与えられるようになりました。

2005年には移民法が制定され、外国人がドイツに就労する場合の規定が緩和され、移民を受け入れる体制がはっきりと社会統合政策として発信されるようになりました。

移民政策には、ドイツ語の習得、選挙権、医療や教育などの支援が強化されています。

ただ、それまで十分な支援のないまま移民としてドイツに暮らしてきたトルコ人にとっては、ドイツ政府の方針にそって従う必要性を感じていない人たちも多く存在しています。

並行社会とトルコ人

並行社会というのは、ドイツ社会の中に浸透できない馴染まないトルコ人が、独自のコミュにティを作りながら、閉鎖的なもうひとつの小さな社会を作っているドイツ国内における社会現象です。

イスラム教のトルコ移民が、ドイツ社会の中で宗教観の違いや、ドイツ社会の中での教育が思うように受けられなかった背景や、移民であるというドイツ社会の中での位置づけや、貧困の問題など、様々な要因がトルコ移民の孤立化に拍車がかかったと言われています。

さいごに

社会統合が成果を得るまでには時間がかかり、その間に移民として訪れた外国人の将来を左右してしまう結果が生じています。

ドイツが外国人労働者を受け入れ始めて60年以上経っていますが、外国人との共存について今だ模索中であるように、移民を受けれるということは、受け入れる社会体制のあり方に大きな課題があるようです。

もうすでに始まっている日本での外国人受け入れ政策に対して、できるだけ多くの経験や海外の教訓が、日本の社会統合のための改善策となることが期待されます。

この記事を書いた人

shyu

海外在住ライター/ネパール国籍の配偶者と日本国籍の息子と日本人の私の3人家族。カトマンズに12年暮らす。 海外に住むということは、国籍はもちろん生まれも育ちも違う者どうしが、なんらかの関係性を保ちながら生きる修行をしているようなもの。 今後、日本で暮らし働く外国人が増えて行くことが予想される中、その動向を外国人の心情に寄り添った視点で発信していきたい。

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